シン・ニホン、ちょっと前に読み終わった。面白い本だったと思う。
分厚いけれど、さくさくと読み進められるので、読んでみたらいいと思う。なるほどという考え方もあるし、ざっと読むのにいいと思う。意見の書という感じなので、こういう考えたもあるのかと読む感じ。ビジネス的な部分は、多数引用されている「イシューからはじめよ」を読んだ方がよし。今をどうするか、今後をどうするかという考えが多いので、自分に必要な部分を取り込んでいけばいい。同意できるところ、できないところがあって良い本だろう。
「週刊ダイヤモンド 2020年6/27号」の特集2の半導体の地政学が面白かった(表紙にデカデカと書いてあるのは、医者と医学部。そっちの方が部数が伸びるのだろう)。アメリカと中国の間での第3次半導体戦争に、台湾のtsmcをめぐる動き。たまにニュースに上る半導体の話だけど、経済雑誌側の視点でみてみると面白い。いろいろな駆け引きがある。技術だけでは、主導権を握りにくいというのがわかる。
あと、ソニーのCMOSは、アメリカと中国の争いの中で、シェアがどうなっていくのかが気になるところ。いろいろなリスクがあるから、采配は難しいだろうな。それは、ソニーだけに限った話ではないけれど。いろいろなものに半導体が組み込まれるので、争いの行方は本当に気になる。
読了。とても面白い内容だった。本のタイトルの通り、時間とテクノロジーが主体の内容だった。
時間は、そもそも時間の概念や過去、現在、未来について。時間の概念は、その生活圏というかコミュニティによって異なるということ。今だけでなんとか生活をできるコミュニティでは、過去も未来もなく、それを表す概念すら無いということ。日本で生活していると、時間や歴史というものが当たり前なので、過去も未来も概念として存在しない部族がいるということは、新しい発見だ。時間の流れがないということは、神話などの見たことのない偶像もない、だけど自然から感じられる精霊のような概念はあると。体感できるものだけが事実であり、それ以外は理解できないと。これは、面白くて、見たこともないことを、聞いて信じてしまうと、現代社会だと、フェイクニュースや詐欺にかかる。実際に体感していないものを信じられるような現代の生活様式だから、そういうものが生まれるのだろう。
テクノロジーは、いろいろだ。AIだったり、没入感だったり、ナッジだったり。AIやセンサーにより機器の自動最適化が行われると、何も意識せずにいろいろなことができるけれど、没入感はなくなる。機械と一体になっているような感じは確かにしない。iPhoneだと自動でいい見た目の写真が撮れる、写真の構図で個性は出るが色味などは差が出ない。海外のスマホのAIカメラを試してみたことがあるが、気持ち悪いほど、最適化されたセッティングになる。センサーの問題で苦手なシチュエーションはあるが、綺麗に撮れる。ただ個人的には、写真が気持ち悪い。綺麗なんだけど、感性に合わないというか、綺麗だがのっぺりとしていると言うか味がない。AIにより自動化されているので、使いこなす余地が残されていないからなんだ、ということを再認識させられた。本の中にもあるが「面倒な手間こそが、クール。その感覚は、実のところカセットに限らず、二十一世紀の文化のさまざまな局面で浮上してきているように感じます。」ということ。便利な世の中では、あえて手間のかかる製品を選ぶことがクールなんだと思う。
それから、テクノロジーの続きとしては、ナッジの部分。様々なセンサー技術や行動経済学などの発達により、よりナッジが進化しているということ。AIで行動を分析することで、ナッジを行い、人を誘導することができるようになっている。ただ、その誘導された結果が正しいかどうかはAIには判断がつけられない(知性がない)ので、人間が判断していかなければならないということ。そして、ナッジされているとしても、あからさまな誘導ではなく、さりげない誘導のため「人がナッジされていることに気がつかない」、それが問題だということ。これから先は、誘導の透明性というかAIの分析結果の透明性が求められていく、ということ。
あと、本文の最後の方で気になったところ。
P.354 インターネットの並列的な行為が散漫に分断しているように見えるのは、私たちがこれらの行為を時系列で捉えているからです。SNSや映像や文章といった事象に対する並列的な行為を空間的に捉え直してみると、そこには散漫な分断はありません。そうではなく、世界に無数に存在する事象や関係のどのあたりの位置に自分がつなぎ留められ、自分自身から見える世界はどのような空間になっているのかを三次元的に感じるようなテクノロジーが出てきたらどうなるか。そのあかつきには、今この瞬間の感覚は、これらの事象や他者との関係の総体であるということを直感として認識できるようになるでしょう。
時間とテクノロジー P.354
確かに今の検索結果はリストなので、散漫のように見えている。もっと空間的な表現で表示できたならば、認識も変わるのかもしれない。3Dモデルのように、表示されて、グリグリと回転できるような見た目になったら、別の発見が生まれるのかもしれない。ただ、現在の人の感じかただと、気持ち悪くてついていけないような気がする。それこそ、電脳化みたいなことにより、テラリウムの中で活動するような捉え方ができるようになったときに、新しい革新になるのかも、と思う。
読了。アンガーマネジメントの本も読んだけれど、しっくりとくるものがなくて、本屋で平積みされていた「寛容力のコツ」を読んだところ、しっくりとくるものがあった。アンガーマネジメントほど厳密でもないのだけど、結果として「イライラ」などのアンガー(怒り)を低下させることができそうだ。寛容力というユルイ感じがいい。マネジメントだともっと厳格な感じになってしまうからだ。いい本だった。
寛容力の敵は、疲れやストレスとあり、今の日本の形にあっていると思う。疲れやストレスだらけだと、自分が疲れているので他人にやさしくはなれない。怒りが命を守るための人の基本行動であるとか。命かどうかは別にして、自分に対して不利益になることに対して怒り(や不寛容)になるので、そうなのだろう。
それから、言葉の問題だけなのかもしれないが、怒りを「抑え込む」のではなく、「消化する」というのがよい。怒りにフタをするのではなく、溶かしていく(消化していく)、溶けない怒りは無理することなく、そのまま持ち続けたまま付き合っていく、と。このユルイ感じは、西洋的ではなく東洋的な流れなので、馴染むのではないかと思う。何事も無理はよくないということだ。
アンガーマネジメント系の本を読んだけれど、馴染まないという人にはこの本はオススメだ。
以下は、気になったところを引用。
P.41 人の感情にはさまざまなものがありますが、特に「怒り」の感情がもっとも頑固で勢いが強いといえます。なぜなら、怒りの感情の目的は、その感情の持ち主の「命」を全力で守ることだからです。
P.56 「寛容力」ということでいえば、「自分はダメだ」「自分には寛容力がない」「人としての器が小さい」などと悩み始めるのは「第二段階」の疲労状態あたりからです。
P.104 疲労はその度合いによって三段階に分けられ、その人がどのレベルの疲労を感じているかによって、起きた出来事から感じるショックの度合いや、回復までに必要とする時間も変わってくる、ということは前にお伝えしました。 じつは、疲労度が第二段階になると、「いいところ探し」が急にできなくなるだけでなく、「自分を許す」ことや「他人を許す」ことも、難しくなってきます。 第二段階の疲労を抱えている人は、本格的なうつ症状に進行する手前の、いわば「プチうつ」状態です。 私は、寛容力が低下している人のうち八割ぐらいは、疲労がたまり、許容範囲が狭くなり、そのことによって他人や自分を責めている、「プチうつ状態」ではないかと考えています。 たとえば、普段はなんの問題もなく人とコミュニケーションができている人も、環境変化をきっかけに寛容力が急に低下することがあります。
P.169 「自分のやり方が常識だ」「自分こそ正しい」と思い込むようになると、他人に攻撃的にあんります。いつでもどこでも誰かにふつふつと怒りを抱くようになる。そして、その怒りを発しては他人を責め、自分も責め、その怒りにフタをしては不必要にエネルギーを消耗させる。いずれにしても、イライラがどんどん加速し、物事がうまくいかなくなるのです。
P.179 水かけ論に陥りそうになったとき、「こんなやりとりは不毛だ。エネルギーの無駄だ。本来の目的を達成するために何をすべきか考えよう」と、サッと引くことができるのが「寛容力」です。
P.198 知っておくべきことは、「怒り」というのは、無理に「抑え込む」のではなく、上手に「消化する」ことができれば、それ以上の悪さをしなくなる、ということです。 そして、「怒り」を上手に消化する方法は、本書でもたくさん紹介しましたが、それらのテクニックを使い、イライラして、相手に怒鳴りそうんいなったけれどもうまく消化して「怒鳴らなかった」としたら、その「しなかった」行動ができた自分を大いに褒めてあげましょう。 「相手に腹が立った。私は怒っている。これはしかたのないことだ。ただ、それを行動には出さなかった。自分はうまく怒りを消化できた」 と、自分にOKを出しましょう。 そうすれば翌日、その相手とまた会ったときに、自分のほうが大人だからこちらから挨拶するか、と「おはよう!」といえます。それこそが「余裕」であり、余裕こそ「寛容力」の大きな源です。
素直な感想としては、「あ、そう。」というくらいだ。タイトルにあるように、苦闘であることは書かれている。失敗したことについても書かれている。だけど、やっと成功した部分についての記述がほぼない。失敗のケーススタディとしてはいいのだろう。成功に繋がる部分としてのケーススタディに使えそうな部分はほぼなし。35万人月もかけているわけで、これだけ巨大な開発プロジェクトの回し方や管理については書かれていない。なので、こういうこともあったね、というような読み方になってしまい、プロジェクトマネジメントとしてのケーススタディには使いにくい本だった。それでも、銀行系システムとして、どのような言語やマシン(メインフレームやLinux系オープンシステムなサーバ)を使っているのかは書かれており、そういうところは有益。そして、新しいシステムもメインどころは、COBOLで、各種商品(ローンとか)や機能でJAVAを使っているなど(P.66の表)は、面白い。銀行系は、COBOLを使いつづけるので、この先の技術者確保をどうするのだろう?という疑問はある。JAVAにしても、サポート期間が変わったので、この先のアップグレードが大変そうだ(塩漬けにして、そのまま使い続けるという選択はありえるのだろうけど)。
それから、前半の方は、システム統合について讃えている。後半は2度の失敗について書かれているだけである。この本自体が、過去の日経コンピュータの記事を元にしているので、後半は特にそれの焼き回しになっているため、痛烈な批判が多い。本の内容としては、組織の上層部向けであり、上層部の判断ミスによるところをちゃんと書くという意味ではよいのだろう。ただ、現場については、ほぼ触れられていない。(日経コンピュータの取材から作成されているので、現場の実態は拾えていないのだからしょうがない)
それにしても、ついに成功したのか、と関心する。ITのサクラダファミリアとか揶揄されていたので、ずっと失敗を続けるのかと思っていたので。実情はわからないが、システム統合おめでとうございます、だ。
木根さんの1人でシネマ7読了。なかなかにインパクトがあり、面白い7巻だった。出だしのロマンティック・コメディもよいかな、と思ったけれど、後半のゴジラが面白すぎて他のインパクトはあまりなし。
Twitterでちらほら宣伝されていたので、ずっと気になっていたゴジラ回をやっと読めた。とてもよく心情がわかる。ゴジラvsビオランテは、映画館に連れて行ってもらった気がする。いまでも、ビオランテは好きだし、あのポスターはよかった。キングギドラのときのアンドロイドの違和感というかターミネーター感は、あれはあれでよかった。Amazon Prime ビデオで配信されているので、ついつい「ゴジラ vs キングギドラ」をみてしまったくらいだ。vsシリーズはよかった。(Amazon Primeでゴジラシリーズを好きなときに見られるのはいい時代だ。)
あと、ミレニアムシリーズは、みたけれど、印象がないというか、あまり好きになれず。シン・ゴジラは、めちゃくちゃ好きなんだけど。ほぼ映画館にいくことがなくなったので、アニメシリーズのGODZILLAは見ていないけれど。1人でシネマのゴジラ回は、面白かった。