行動経済学って、文字よりも漫画のほうがわかりやすい。人間の行動なので、文字で説明よりも画のほうがイメージつきやすい。で、わかっていても不合理に動くんだよね。
それで、今回もCOVID-19による買い占め行動や、いろいろな行動を考えてみると、行動経済学的な動きが多くて楽しい。いいとか、わるいとか、ではなく、変だけれど、意味があるんだとわかる。
読了。アンガーマネジメントの本も読んだけれど、しっくりとくるものがなくて、本屋で平積みされていた「寛容力のコツ」を読んだところ、しっくりとくるものがあった。アンガーマネジメントほど厳密でもないのだけど、結果として「イライラ」などのアンガー(怒り)を低下させることができそうだ。寛容力というユルイ感じがいい。マネジメントだともっと厳格な感じになってしまうからだ。いい本だった。
寛容力の敵は、疲れやストレスとあり、今の日本の形にあっていると思う。疲れやストレスだらけだと、自分が疲れているので他人にやさしくはなれない。怒りが命を守るための人の基本行動であるとか。命かどうかは別にして、自分に対して不利益になることに対して怒り(や不寛容)になるので、そうなのだろう。
それから、言葉の問題だけなのかもしれないが、怒りを「抑え込む」のではなく、「消化する」というのがよい。怒りにフタをするのではなく、溶かしていく(消化していく)、溶けない怒りは無理することなく、そのまま持ち続けたまま付き合っていく、と。このユルイ感じは、西洋的ではなく東洋的な流れなので、馴染むのではないかと思う。何事も無理はよくないということだ。
アンガーマネジメント系の本を読んだけれど、馴染まないという人にはこの本はオススメだ。
以下は、気になったところを引用。
P.41 人の感情にはさまざまなものがありますが、特に「怒り」の感情がもっとも頑固で勢いが強いといえます。なぜなら、怒りの感情の目的は、その感情の持ち主の「命」を全力で守ることだからです。
P.56 「寛容力」ということでいえば、「自分はダメだ」「自分には寛容力がない」「人としての器が小さい」などと悩み始めるのは「第二段階」の疲労状態あたりからです。
P.104 疲労はその度合いによって三段階に分けられ、その人がどのレベルの疲労を感じているかによって、起きた出来事から感じるショックの度合いや、回復までに必要とする時間も変わってくる、ということは前にお伝えしました。 じつは、疲労度が第二段階になると、「いいところ探し」が急にできなくなるだけでなく、「自分を許す」ことや「他人を許す」ことも、難しくなってきます。 第二段階の疲労を抱えている人は、本格的なうつ症状に進行する手前の、いわば「プチうつ」状態です。 私は、寛容力が低下している人のうち八割ぐらいは、疲労がたまり、許容範囲が狭くなり、そのことによって他人や自分を責めている、「プチうつ状態」ではないかと考えています。 たとえば、普段はなんの問題もなく人とコミュニケーションができている人も、環境変化をきっかけに寛容力が急に低下することがあります。
P.169 「自分のやり方が常識だ」「自分こそ正しい」と思い込むようになると、他人に攻撃的にあんります。いつでもどこでも誰かにふつふつと怒りを抱くようになる。そして、その怒りを発しては他人を責め、自分も責め、その怒りにフタをしては不必要にエネルギーを消耗させる。いずれにしても、イライラがどんどん加速し、物事がうまくいかなくなるのです。
P.179 水かけ論に陥りそうになったとき、「こんなやりとりは不毛だ。エネルギーの無駄だ。本来の目的を達成するために何をすべきか考えよう」と、サッと引くことができるのが「寛容力」です。
P.198 知っておくべきことは、「怒り」というのは、無理に「抑え込む」のではなく、上手に「消化する」ことができれば、それ以上の悪さをしなくなる、ということです。 そして、「怒り」を上手に消化する方法は、本書でもたくさん紹介しましたが、それらのテクニックを使い、イライラして、相手に怒鳴りそうんいなったけれどもうまく消化して「怒鳴らなかった」としたら、その「しなかった」行動ができた自分を大いに褒めてあげましょう。 「相手に腹が立った。私は怒っている。これはしかたのないことだ。ただ、それを行動には出さなかった。自分はうまく怒りを消化できた」 と、自分にOKを出しましょう。 そうすれば翌日、その相手とまた会ったときに、自分のほうが大人だからこちらから挨拶するか、と「おはよう!」といえます。それこそが「余裕」であり、余裕こそ「寛容力」の大きな源です。
素直な感想としては、「あ、そう。」というくらいだ。タイトルにあるように、苦闘であることは書かれている。失敗したことについても書かれている。だけど、やっと成功した部分についての記述がほぼない。失敗のケーススタディとしてはいいのだろう。成功に繋がる部分としてのケーススタディに使えそうな部分はほぼなし。35万人月もかけているわけで、これだけ巨大な開発プロジェクトの回し方や管理については書かれていない。なので、こういうこともあったね、というような読み方になってしまい、プロジェクトマネジメントとしてのケーススタディには使いにくい本だった。それでも、銀行系システムとして、どのような言語やマシン(メインフレームやLinux系オープンシステムなサーバ)を使っているのかは書かれており、そういうところは有益。そして、新しいシステムもメインどころは、COBOLで、各種商品(ローンとか)や機能でJAVAを使っているなど(P.66の表)は、面白い。銀行系は、COBOLを使いつづけるので、この先の技術者確保をどうするのだろう?という疑問はある。JAVAにしても、サポート期間が変わったので、この先のアップグレードが大変そうだ(塩漬けにして、そのまま使い続けるという選択はありえるのだろうけど)。
それから、前半の方は、システム統合について讃えている。後半は2度の失敗について書かれているだけである。この本自体が、過去の日経コンピュータの記事を元にしているので、後半は特にそれの焼き回しになっているため、痛烈な批判が多い。本の内容としては、組織の上層部向けであり、上層部の判断ミスによるところをちゃんと書くという意味ではよいのだろう。ただ、現場については、ほぼ触れられていない。(日経コンピュータの取材から作成されているので、現場の実態は拾えていないのだからしょうがない)
それにしても、ついに成功したのか、と関心する。ITのサクラダファミリアとか揶揄されていたので、ずっと失敗を続けるのかと思っていたので。実情はわからないが、システム統合おめでとうございます、だ。
木根さんの1人でシネマ7読了。なかなかにインパクトがあり、面白い7巻だった。出だしのロマンティック・コメディもよいかな、と思ったけれど、後半のゴジラが面白すぎて他のインパクトはあまりなし。
Twitterでちらほら宣伝されていたので、ずっと気になっていたゴジラ回をやっと読めた。とてもよく心情がわかる。ゴジラvsビオランテは、映画館に連れて行ってもらった気がする。いまでも、ビオランテは好きだし、あのポスターはよかった。キングギドラのときのアンドロイドの違和感というかターミネーター感は、あれはあれでよかった。Amazon Prime ビデオで配信されているので、ついつい「ゴジラ vs キングギドラ」をみてしまったくらいだ。vsシリーズはよかった。(Amazon Primeでゴジラシリーズを好きなときに見られるのはいい時代だ。)
あと、ミレニアムシリーズは、みたけれど、印象がないというか、あまり好きになれず。シン・ゴジラは、めちゃくちゃ好きなんだけど。ほぼ映画館にいくことがなくなったので、アニメシリーズのGODZILLAは見ていないけれど。1人でシネマのゴジラ回は、面白かった。
古いデジカメやマウスなどで使っていたエネループが10本ほどあった。気がつけば、古い充電池は、10数年につかっており、一番新しいやつでも、5年以上は経っていた。充電はできるけれど、出力が安定しないのか、すぐに電池切れになる。長く使っているので、新しい充電池に買い換えをした。
新しくかったのは、大容量タイプのeneloop pro。今思えば、持っていたeneloopは、SANYO時代のものだけだった。パナソニックモデルのeneloopは初だ。デザインが大幅に変わって、eneloop感はないけれど、シンプルなデザインは好感だ。
買い換えて実感したのは、新しい充電池は持ちがいいし、安定する。1000回繰り返し使えるというけれど、古い電池を1000回充電したのかどうかはわからない。さすがに長い年月使っていると、劣化するので、数年で買い換えておいた方がよかったのだと思う。今回、一気に廃棄したので、eneloopの本数は減ったけれど、そこまで電池を使う機器もないので、4本で回せそうだ。次に買い換えるのはいつだろうか。
古い充電池は、まとめて家電量販店のリサイクル回収ボックスにいれてきた。
ちょっと気分がのらないときにSNSを見始めると、一時間や二時間くらい経っていることがある。なにか目的があるわけでもなく、目的があったとしても横道にそれてしまうようなことがある。SNSやネットサーフィンを止めなければと思う。そんなときに本屋で見つけたのが「デジタル・ミニマリスト」だ。
この「デジタル・ミニマリスト」には、結構厳しい哲学がかかれている。本当に必要なデジタルツールを選別するためのデジタルデトックス、費用対効果からのツール選定。厳格なルール決めと、その維持。それで実際に初めてみても、リバウンドしてしまうケースが多いとのこと。ただ、時間を無駄にしてしまうことだけに焦点をあてれば、行為依存するように設計されているデジタルツールからの脱却を図るだけでも効果はある。なので、前からやっているスマートフォンにFBなどのアプリをインストールしない、無用な通知は切る(無視する)は効果的であることの裏付けにもなった。この本を参考にして、もう少し発展させて、見る回数を減らす、書き込みを減らす(いいねを減らす)、ある程度の孤立は恐れない、ということをやったら、時間的にも心的にも軽くなった。
この本のように厳格なデジタル・ミニマリストの方がよりよいのかもしれないが、無理は禁物。身の丈にあう、続けられる内容で実践するのがよい。
以下は、気になったところの抜粋。
P.9 現代のデジタル・ライフについて議論するうえで繰り返し耳にしたキーワードは”疲労感”だった。個別に見れば、どれか一つのアプリ、一つのウェブサイトだけが悪者というわけではない。多くの人間が問題だと思っているのは、あまりにもたくさんのアプリやウェブサイトがきらきらと光を放って朝から晩までユーザーの注意を奪い合い、人の気分に影響を及ぼしていることだった。このカオスの真の問題は、ディテールにばかり目を凝らしていても見つからない。問題はそこではなく、自分ではどうにもできない状況になりつつあるという点にある。これほど多くの時間をネットに費やしたいと思っている人はあまりいないだろうに、デジタル・ツールは、行為依存を促すように設計されている。ツイッターをチェックしたい、レディット(英語圏で人気のあるソーシャル・ニュースサイト)に新しい投稿がないか確認したいという抑えがたい衝動は、目の前のことに集中すべき時間を細切れにし、日々を主体的に過ごすのに必要な平常心を乱す。
P.9
P.10 リサーチをしてもう一つわかったのは、無制限にネットに接続していると心の健康をむしばまれることだ。私が話を聞いた人々の大半が、ソーシャルメディアはユーザーの感情を引っかき回すと訴えた。日常を切り取って念入りに編集した友人の投稿にしじゅう接していると、劣等感にさいなまれる。もともと気分が落ち込んでいたときなどはとりわけそうだろう。また、十代の若者にとっては、誰かを仲間外れにする残酷な手段にもなる。
P.10
P.37 トリスタン・ハリスが警告したとおり、新しいテクノロジーへの依存に認められる特徴は、多くの場合、偶然の産物ではない。巧妙にデザインされた機能によって引き起こされたものなのだ。 オルターの結論は、おのずと次のような疑問につながる。新しいテクノロジーはなぜ、行為依存を助長するのに適しているのか。このテーマに関するオルターの研究を詳述した2017年刊行の「僕らはそれに抵抗できない」(ダイヤモンド社)は、私たちの脳を惑わせて不健全な使用を促す狙いでテクノロジー製品に”投入されている成分”を数多く取り上げている。そのなかから、この本のテーマにとりわけ関係が深いというだけでなく、テック企業がどのようにして行為依存に拍車をかけているかを調査した私のリサーチでも繰り返し現れた二つについて、ここで簡単に紹介したい。”間歇強化(かんけつきょうか)”と”承認欲求”である。
P.37
P.48 デジタル・ミニマリズム自分が重きを置いていることがらにプラスになるか否かを基準に厳選した一握りのツールの最適化を図り、オンラインで費やす時間をそれだけに集中して、ほかのものは惜しまず手放すようなテクノロジー利用の哲学。
P.48
P.49 この哲学を採用したデジタル・ミニマリストと呼ぶべき人々は、費用対効果をつねに意識している。新しいテクノロジーが登場したとき、それを利用してもわずかな娯楽や利便性しか得られていないと判断したら、初めから手を出さない。自分が大事にしていることを後押ししてくれそうだとわかった場合でも、その新しいテクノロジーは、さらに厳格な基準をもう一つパスする必要があるーー目標を達成するために、そのテクノロジーを利用することが最善といえるかどうか。この基準に照らし合わせた答えがノーなら、ミニマリストは、そのテクノロジーの最適な利用法を探るか、もっとよい別の選択肢を求めて情報収集を再開する。
P.49
P.65 デジタル・ミニマリズムを論じる章でこの経済学の法則を持ち出した理由は、次のようなものだ。”生涯プロセス”の定義の解釈にいくらか幅を持たせれば、収穫逓減の法則は、私たちが生活のなかで価値を産み出すために新しいテクノロジーを利用するさまざまな場面にも当てはまる。収穫逓減の法則の観点から一人ひとりのテクノロジー・プロセスを注意深く見ると、デジタル・ミニマリズムの第二原則ーー自分が利用するテクノロジーの最適化を図ることは、どのテクノロジーを利用するかを最初に決めるのと同じくらい重要であるーーの正当性を理解するのに必要な語彙をひととおり知ることができる。
P.65
Mac miniのモニタとして使っていたテレビが壊れて、完全に画面がつかなくなってしまったので、新しくPC用のモニタを買った。その使用感をまとめておく。
購入したのは、ASUSの27インチのゲーミングモニタ(VL278H)だ。選んだ理由は、Amazon上で価格が安いこと、PS3も接続するので2系統のHDMI入力がついていること、画面の描画が早いことだ。これ、フレームレスのモニタなのだが、PS3とMac miniを繋げると、Mac mini上でアンダースキャンが行われてしまい、全画面を使用してくれない。たぶん、前のモニタで端がかけるので、アンダースキャンしていた影響だとは思うのだが、アンダースキャンの設定が表示されないので修正できない。画面の映りについては、特に問題なし。フルHD画質ということもあり、文字もくっきりと見える。発色も悪くない。
しかし、性能としてイマイチなのは、組み立ててみると、モニタを支えているアームが歪んでいるのか右側が数ミリ下がっている。27インチモニタなので、どうしても、左側よりも右側が下がるのが気になってしまう。モニタの本体で傾き補正できるわけでもないので、下がりっぱなしだ。安いからではなく、ASUSだから作りが甘いとしかいいようがない(けちらずにiiyamaにしておけばよかった)。それから、3W+3Wのスピーカーがついているとのことだが、音質がよくない。スピーカーの性能ははっきりといってよくない。ゲームするなら、ヘッドホンをつけるだろう、と言われている気がする。音もそんなに大きくないので、本当に3W+3Wのスピーカーなのかと思う。ある程度の音がほしいなら、このモニタは失敗だ。そもそもPC用のモニタだから、いい音がよいのならフルHDの液晶テレビを買った方が早いと思った。テレビを流用していたのは、意外と利にかなっていたと今ごろになって気がつかされる。
対して満足はできなかったが、ブログを書いたりする分には十分かつ安かったので、評価として悪くはない。
Diamond Harvard Business Review 2019年12月号の記事。
バズワードのようにデジタル・トランスフォーメーション(DX)という言葉が先行しているが、何をやったらいいのか、ということには大規模な例ばかりの事例の中で、この特集は、企業の身の丈にあうようなことを進めるうえでの良著だった。
DXは概念的な側面が強いため、これといった絶対的な解はない。ゆえに何をやったらよいのかわからず、とりあえず新しいシステム導入などに走りやすいので、DXの言葉に踊らされずに、まずは自分たちの足元を見直すという意味でも、このDXの誤解について語られた論文はよい。何かディスラプティブなことをやらなきゃならないんじゃないか、という呪縛から解き放ってくれる。DXの言葉に踊らされることなく、本業の課題を考えて、できること、やるべきことを決めてやっていくことが大切だ。
いくつか気になった部分を抜粋。
DXの本質は、組織に大混乱をもたらす破壊的(ディスラプティブ)なものではないという。実際は、より段階的なアプローチを使用することで成功している企業が多いからである。
広くもてはやされている「デジタル・トランスフォーメーション」(DX)という用語の意味は単に、「デジタルテクノロジーが実現する機会を獲得するための、組織的な戦略と体制を導入するということ」である。
もはやデジタルテクノロジーはIT分野だけの専売特許ではなく、企業のバリューチェーンのほぼすべての部分で導入が進んでいるのだ。マネジャーたちが追い求めるべき機会や優先すべき変革プロジェクトについて頭をめぐらすと、途端にデジタル・トランスフォーメーションが自社にとって具体的に何を指すのか、よくわからなくなる。それも無理はないことなのだ。
デジタル・トランスフォーメーションといえども、自社の存在理由は変わらないとわかれば、自社がフォーカスを当てるべきテクノロジーを特定しやすくなる。デジタルがもたらす混乱によってコアビジネスの大変革を迫られると思い込んでいるマネジャーは、あらゆる方向に迷走することになる。しかし、自社の課題は単純に、顧客の課題により的確に対応することだと考えるマネジャーは、顧客に与える効果(たとえば顧客体験や顧客関係のシナジー効果)や顧客のコアケイパビリティに与える効果(たとえばコスト面のシナジー効果)が最も大きいテクノロジーに集中する可能性が高い。
デジタル化がしばしば、非効率な仲介者を外し、コストのかかる物理的インフラを排除できることは間違いない。とはいえ、これはリアルな存在が完全に消えてなくなるということではない。実際には、各種資料で十分に証明されているように、多くの小売業者が、リアルとデジタルのそれぞれの利点を活かした、ハイブリッドモデルの構築方式を見出しつつある。そしてこのことは小売業に留まらず、消費者を相手とする他の業界でも同じ流れを確認することができる。
企業はしばしば、スタートアップを買収し、それを統合することによって新たなテクノロジーやアイデアを利用しようとする。しかし、このアプローチには、スタートアップの文化を潰し、その企業が創生期に獲得した人材を追い出してしまうリスクがある。賢明な企業は、スタートアップとの間で折衷的な関係を築くことを選ぶ。つまり、学びやシナジー効果が得られる程度に強固で、文化を壊さない程度に緩い関係だ。そして、たとえそのスタートアップの所有権を握るとしても、彼らに半独立的な事業運営を認めるのである。
マネジャーはしばしば、デジタル・トランスフォーメーションとは、主にテクノロジーの変化に関係するものだと考える。もちろんそれもそうだが、賢明な企業は、変革とは最終的には顧客のニーズによりよく答えることであると考える。その手段としてオペレーションの効率化、マス・カスタマイゼーション、新たな商品・サービスの提供が必要だということだ。このような目的を実現するため、デジタル化は、従来縦割り化されていた活動の横の連携を可能にする。そのため、企業は多くの場合、人員とテクノロジーの両方の再編成を迫られる。実際問題として、これは体制の変化を意味する場合がある。たとえば、敏捷性の高い体制(アジャイル体制)が有効な状況ならば、プロジェクトを最初から最後まで遂行するのに必要な能力と権限を持つ分隊を社内で立ち上げる。分隊はチームの一種ではあるが、起業家的なスタイルで重要な問題を迅速に解決する権限を与えられているという点で、一般的な大企業のチームとは異なる。
デジタル・トランスフォーメーションでは、最終的に、顧客には見えないバックエンドのレガシーシステム刷新が必要になる場合がある。しかし、いきなりITシステムの全面的かつ徹底的な見直しに着手するのは、非常に危険である。賢明な企業は、顧客に見えるフロントエンドのアプリケーションを速やかに開発しつつ、レガシーシステムをモジュラー型の敏捷なシステムに徐々に置き換えていく方法を見つけ出す。これはたとえば、フロントエンドとバックエンドを結ぶミドルウェアインターフェースを構築したり、事業部門に目下必要なソリューションの導入を認めたりする一方で、バックエンドのシステム改革を抜け目なく進めるといった方法で実現できる。いずれレガシーシステムの機器は役目を終えるが、顧客ニーズへの対処方法を改善するにあたり、それを持っている必要はない。
たとえ混乱の脅威をまともに受けている企業であっても、デジタル・トランスフォーメーションは多くの企業にとって、通常は提供価値やビジネスモデルの抜本的な再構築を意味するものではない。むしろ、デジタルツールを使ってコア業務を改革することと、デジタルがもたらす新たな機会を見つけてとらえることの両方を意味する。
成功の秘訣は、顧客ニーズに対するフォーカス、組織の柔軟性、斬新的な変化の尊重、そして新しいスキルやテクノロジーは買収するだけでなく保護しなくてはならないという認識である。そしてこれらは、優秀な従来型企業が昔から得意としてきたことなのだ。