モモー時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語

モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)
ミヒャエル・エンデ Michael Ende

岩波書店 1976-09
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夏休みの宿題ではないが、小さかった頃に読もうと思い読まなかったモモを読んだ。

子供の頃は、すごく分厚くて文字が細かかったと思っていた本(もちろんハードカバー版)も今みれば文字が大きく感じる。こんなに厚い本なんて読めないと思っていたが、今はアッサリと読み終わった。大人になってみると、昔の難題は簡単にできるようになっている。むしろ、今でも読書ができなかったら、それは問題だ。前置きはこの位にしておく。

モモを読んでみると、中々奥深い。時間というテーマだったり、子供たちの遊び方や発想など、考えるとが多い。時間どろぼうに時間を盗まれて、そうとは知らずに齷齪と時間を節約する人間たち。現代社会も時間を節約するように人は働いている。働いて疲れて、仕事が終わってもノンビリとする時間が無い。時間に追われて生活する日々。モモにでてくる時間どろぼうは存在しないだろうが、まるで何かに時間を盗まれているようだ。物質的な豊かさを求めて生活する日々に、お金がないと住む場所もないという現実。幸せな暮らしとは何かという事を考えてしまう。

また、決まった遊び方しかできないオモチャでは、新しい遊び方を考え出す事ができないということ。決まりきった遊びでは新しい発想が生まれない。本質的なことなのだろう。子供の間で生まれる新しい遊びの発想は重要だろう。型にハマらない柔軟な考え方につながっていく。現代の決められた遊び方でしか遊んでいないと、みんな同じようになるのだろう。ルールの変えられないビデオゲーム・・・新しく創造的なことができなくなっていくのだろう。

時間の使い方や子供たちの遊び方・・・どこか現代と当てはまるような危機感を感じてしまう。物語はおもしろく、引き込まれていく。だが、裏にあるテーマが気になって仕方ない。

大学時代、地域通貨に関わっておきながら、ちゃんとエンデの遺言やエンデの警鐘を読んだことはなかった。次は遺言を読むことにしよう。

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