ハーバードの人生が変わる東洋哲学

西洋哲学にどっぷりな人からすると、東洋哲学は刺激的なのかもしれないが、仏教だの日本神話などに慣れ親しんでいる日本人からすると、ふーん、という程度。そもそも、根底になる教えは大陸から伝来していることから、日本の中にゆるく流れている気はする。どっちつかずというか性善説というか。まぁ、読み物としては、アメリカの人は、そう考えるのね、という意味では面白い。学ぶべきことがあるかどうかは、その人の生き方次第。読んでみるのは悪くはない。

気になったところのメモ

P.65 西洋人が真の自分と定義しているものは、実際には人や世界に対する連続した反応のパターンにすぎず、時とともに蓄積されたものだ。たとえば、「自分はとにかくイライラしやすいたちだ」と思っている人がいるかもしれない。けれども、それはむしろ、長年にわたる人とのかかわり方が原因で、ささいなことにも苛立つ人間になってしまっているだけの可能性が高い。本当にイライラしやすい人間だからではない。「真の自分」に忠実でいることが、有害な感情の習癖を固定化する結果になってしまう。

P.66 孔子にならうなら、自分の行動パターンを知り、積極的にその修正に取り組む方法がある。ゆっくり時間をかけて行動パターンを打破する

P.168 学識者になるために音楽や詩が重要だったのは、それがある種の平静さの感覚を修養するからだ。
  怒りをおさめるには詩歌に勝るものはなく、憂いを断つには音楽に勝るものはない。
 詩や音楽が<気>の修養になるのは、人がそれを通じて人類に共通する経験に対してもっと敏感に反応し、もっと深くつながり、もっと感応する感覚を得られるからだ。詩や音楽によって、人間であることの意味がいきなり鮮明になったり、感動するような洞察が得られたりすることがある。

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