読了:くらしのアナキズム

とても面白かった。アナキズム=無政府主義、というわけではなく、政府が介入しない(介入できない)普段のくらしで、アナキズム的なことが起きているのか、そこに焦点を当てている。というか、当たり前すぎて、国家について考えたことはなかった。なんらかの外部要因によって、国家というか統治機能がなくなったり、大幅にかわることはアリ得るのだと考えさせられた。

第4章の「市場(いちば)のアナキズム」はわかりやすい。市場(いちば)は、そもそも政府は直接的には関係がないわけで、そこでの活動や規制、コンセンサスを考えると見えてくるものがある。そして、「アナキズムは『権力による強制なしに人間がたがいに助けあって生きてゆくことを理想とする思想』だ」とある。この「助けあい」は政府は関与できない(強制できない)わけで、それが市場の中で自然発生して、コミュニティやルールが形成されていく。中世日本の市場の例やヨーロッパの市の例など、本当に面白い。「助けあい」というキーワードは、しっくりとくる。強いつながりではなく、弱いつながりでもあれば、なにかあったときの助けあいにつながる。そういう現場発生的な何かが良いわけだ。

第5章の「アナキストの民主主義論」は気づかせられる事が多い。「多数決はコミュニティを破壊しかねない」とか。民主主義だと、ついつい賛成多数できめればいいじゃないか、みたいな安直なことを思ってしまう。そうすると数で負けたほうの不平不満がたまる。そんなに大きくないコミュニティだと、それが分断のもとになり、争いに発展するということ。利害がある内容で、多数決だと弱い方(数が少ない方)が圧倒的に不利な立場になる。数がおおければ、なんでもやっていい、というわけでもない。公平さというよりも、納得がいく形がいいということ。コミュニティの中では、よくも悪くも「納得いくまで話しあう」ということが重要になる。日本の中の調査などの事例もあり、単純に多数決で考えればいいというわけでもないことがわかる。思い返すと、今の多数決で決める風潮は何なんだろうか。学校教育の中で、何かをきめるとき、なんでもかんでも多数決で取るみたいなことがあったからだろうか。少なくとも自分のときは、多数決ばかりやっていた気がする。国民的なアニメの「ちびまる子ちゃん」の中にも、多数決は出てきていたし、そういうところから「多数決で決める」みたいな刷り込みがあるのだろう。民主主義は数の暴力と言われるけれど、これに疑問を抱くまでが大変な過程な気がする。「くらしのアナキズム」としては、政府や地方自治体がうんちゃらよりも、「納得いくまで話す」が最終的には重要なんだろう。政府的な無理やり決める、ではなく、アナキスト的な解決がいい。

「うしろめたさの人類学」と「くらしのアナキズム」の両方を読んだわけだが、自分の所属するコミュニティ文化圏(国家や環境)を超えて、何か別の文化圏とふれあい、比べるといろいろな面白さや発見がある。それがすぐに何かの役にたつことはない。でも、そういう違いがあることを認識できることが、ダイバーシティなのだろう。相手の背景を知った上で、受け入れられないことは受け入れられないでいいのだ。歩み寄りは必要だと思うが、納得のいくまで話すのが大事。そのうえで、決裂は仕方ない。多数決や政府的なトップダウンで決めるよりも重要なことだろうと思う。

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